年始は毎年決まった場所で夕陽を眺めるのが個人的な恒例行事のようになっています。元旦の夕暮れはちょっと雲が多くて夕陽を拝めませんでしたが、2日は綺麗なグラデーションが拝めました。
夕暮れの「暮れる」と、日々の「暮らし」とは、どうして同じ字を使うのだろう…?と考えることがあります。「暮れる」は「暗れる」とも近いイメージがあって、なんとなく終わっていくというようなニュアンスを勝手に感じているのですが、「暮らし」というと日々繰り返される穏やかな時間のような印象を受けます。
ただ、長い長い時間を「暮らし」ていけば、人生は徐々に「暮れて」いくわけで、本質的には同じ意味なのかもしれないですね。オギャー!とこの世に生を受けたその瞬間から、終わりへ向けての「暮らし」は始まっているわけで、その不可逆的な流れは誰にも止めることができない。建築やデザインは、一人一人の「暮らし」の背景を包み、守り、そして彩るものなのかもしれないなぁと。今年はどんなものを作ったりデザインしたりする年になるのでしょうか。とてもワクワクします。